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雪月花(仁王雅治)
青の詩 ( 閉鎖 ) の流風様から小説を頂きました。
お前は忘れてるじゃろうのぉ…。
あの日、お前がくれた言葉。 俺んとっての初めての気持ち。 お前は、知らんじゃろ…。 けど、俺は忘れんぜよ―――… 「桜の季節も、もう終わりですね…」 学校の中庭に植えられた大きな桜の木を見上げ、柳生が物悲しそうに言った。 「…ん?」 木の幹に寄りかかって寝ていた俺は、その声で目を開けた。 「ああ、起こしてしまいましたか」 「いや…気にせんでええ。それより今なんて言ったんじゃ?」 眠い目をこすりながら俺が尋ねると、 「いえ、桜の季節ももう終わりだと言っただけです」 「…だとしたらなんじゃ?」 言葉の意味が理解できずにいると、柳生は俺に向き直って言い直した。 「なぜだかは分かりませんが、桜の花びらが散るこの瞬間がとても悲しく思うのです」 ど真面目な顔で言う柳生に多少固まりながらも、俺も釣られて桜の木を見上げた。 「そうじゃなぁ…」 俺の視界を遮るように、風に揺られた花びらがいくつも散り落ちていた。 「お前の感性にはなかなかついていけんのぅ…。けどまぁ、俺たちにはこれから楽しみがたくさんあんじゃろ」 ニヤリと柳生の顔を見て笑うと、 「そうでした」 と、柳生も不適な笑みを浮かべた。 俺と柳生が知り合ったばかりの、春のことだった―――…。 「…であるから、この数式に当てはめると―――」 午後の授業、俺んとってこれほど面倒で嫌な時間はない。 興味をそそられるものもなければ、眠気と格闘するだけで精一杯だった。 視界の隅っこでは、ヒラヒラと桜が舞っていた。 「ふぁ〜ぁ…」 この頃の俺の頭の中は、テニスしかなかった。 と言うよりも、この間見つけたメガネの男―――柳生とのダブルスで何をしてやらかそうか―――そんなことばかり考えていた。 「…おい、仁王!聞いてるのかッ!」 「んぁ…?」 突然の教師の声に呼び戻される。 「…はいはい。ちゃんと聞いてるぜよ」 と、手をフリフリして答えておいた。 「ったく…」 教師はいつものこと、と呆れ顔で大して相手にもせず、授業を続けた。 いちいち構わんでもええじゃろうに…。 俺ん方が呆れるぜよ…。 つまらんのぉ〜と、窓の外を見たときだった―――… 「―――!?」 一瞬体が固まる、とはこういうことを言うのか。 体に電流が走ったように、俺の目は一点を集中して動かなかった。 そこは、この間柳生と話していた場所だった。 その場所に、そいつはいた―――… 俺が今まで見たことのないような女だった。 透き通るような白い肌、腰まで伸びた黒い髪、意志の強そうな瞳…。 俺の周りにいる女とは一味も二味も違っていた。 そいつは桜の幹に寄りかかりながら、ただじっと空を見つめていた。 その周りでは同じクラスであろう連中が体育の授業をしている。 誰じゃ―――…? 授業が終わるまで、俺はそいつから目が離せないでいた…。 「たるんどるっ!」 真田の怒鳴り声が響いていた。 「赤也っ!そんなんで俺に勝てると思ってるのかっ!」 「ちっくしょう…」 絶対に勝ってやる…と赤也はブツブツ言いながら真田に向かっていた。 「ほう…。やるじゃないか」 赤也の闘志にせせら笑いながら、俺は柳生とラリーを続けていた。 一日を過ごす中で、俺が最も何かに集中する瞬間、それがテニスだった。 「仁王っ!」 今度は俺かい…。 真田が怒りの形相でこちらに向かってきた。 ラケットを肩に担ぎ、やってくる真田に向き合った。 「なんじゃ?」 「たるんどるっ!もっと集中―――」 「お前に言われなくてもしとろーが」 間髪入れずに答えてやると、ワナワナと真田が震えてるのがわかった。 そのまま怒りの形相で赤也の元へと戻っていった。 「…プリッ」 この後、赤也が徹底的に打ちのめされたことは言うまでもない。 そんな光景が可笑しくて、改めてウチの連中は面白い…などと思っていた。 「仁王君」 コートの向こうから柳生がやってきた。 「どうした、柳生?」 「いえ、ちょっと気になったことが…」 柳生はメガネを直しながら言いづらそうにしていた。 「なんじゃ?」 「…いえ、私も思うのですが、今日の仁王君はどこか気持ちが…」 そこまで言って柳生は口をつぐんだ。 「ほぅ…」 気にせんようにしててもわかるヤツにはわかるのか…。 「何か気がかりなことでも?」 「…いや、何でもない。それより…済まなかったのぉ。もう一度相手を頼めるか」 「はい。喜んで」 その後も練習はしばらく続いていた―――… 一週間後、同じ場所にアイツはいた。 期待していた訳ではないが、自然と目がアイツを捕らえていた。 授業が終わり、その姿が校舎の中へ消えることを確認すると、俺は教室を出ようと立ち上がった。 「仁王」 前方からの呼ぶ声に顔を上げると、教師がいつもの呆れ顔で手招きしていた。 「はぁ〜…。めんどいのぉ…」 ため息混じりに呟くと、ゆっくりと教師の下へ歩み寄る。 「なんじゃ?」 「なんだ、じゃないだろ」 教師は名簿で俺の頭をポンポンと叩くと、 「そんなに俺の授業はつまらないか? お前はなぁ…」 と、ありふれた教師のグチが始まった。 こういう時はおとなしく聞いてる他ない。 始まったが最後、本人の気が済むまで終わらんからのぉ…。 春の匂いが風と共に開け放たれた窓からやってきた時だった。 「あっ―――!?」 教室の横の廊下をアイツが颯爽と歩いていた。 「どうした、仁王?」 「…いや、なんでも」 「そうか? それでだな…」 教師は気にせずに話を続けようとする。 「先生…、スマンが話はまた今度でええか? 部活に行く時間じゃけぇ」 「お、おお。そうか」 まだ話したそうな教師を置いて、俺は廊下へと飛び出した。 「なんでこの学校はこんなに広いんじゃぁ…」 あちこちと歩き回り、ついにその姿を探すことはできなかった。 「…ついとらんぜよ」 ブラブラしながら部室へ向かおうとしたとき、 「お〜い。仁王〜」 と、後ろからブン太とジャッカルがやってきた。 「これから部室に行くんだろ?」 いつものようにガムを風船みたく膨らませながらブン太が言った。 「今日は真田が用事でいないらしい。だから自主練みたいだぜ」 と、ジャッカルが説明した。 「そうか…」 「なぁなぁ。真田がいないんだったら一緒に打たね〜?」 ブン太が子供のように目を輝かせながら言うと、 「おっ、いいな。俺も久々にお前と打ちたいぜ」 と、ジャッカルが視線を俺に向けた。 「あぁ、そうじゃの―――あ、いや…悪い。今日は部活休む」 「えぇ〜何でだよぉ」 ブン太がぷぅっと頬を膨らませた。 「具合でも悪いのか?」 心配そうに覗き込むジャッカルの視線から目を逸らし、 「まぁ…な」 と、曖昧に答えておいた。 本当は具合なんて悪いわけではもちろん、ない。 ただ、あの女がどこの誰なのかが知りたいだけ―――… 「ほんに…俺らしくもないのぉ…」 行くあてもなく、ブラブラと校舎を渡り歩いていた。 真田がいないというのは好都合だった。 部活を休むだけでなく、まだ校内に残っていると知ったら…。 「赤也じゃなくても逃げ出したくなるナリ」 暖かな午後の日差しがまた眠気を襲う。 ただ、なんとなく入っただけだった。 吸い込まれるように、俺はそこで足を止めた―――… そこは、茶道室と書かれていた。 「ウチの学校にこんなとこがあったんか」 辺りは静寂に包まれ、人一人いなかった。 中からは畳の独特の匂いが漂よっていた。 「まぁ、寝るにはいい場所じゃの」 誰もいないのをいいことに、俺はゴロっと横になった。 微風が心地良く、いつしか深い眠りに落ちていた。 シャカシャカシャカ… 何かの物音がして、ふと目が覚める。 「…ん?」 一瞬、自分がどこにいるのかわからず、頭が働くまで少々の時間を要した。 そして、部活をサボって寝ていたことを思い出す。 「ふぁ〜ぁ…」 欠伸をしながら体を伸ばしていると、先程から聞こえてくる音が耳に入る。 「いったいなんの音じゃ?」 隣接する部屋へと足を向けると、どうやら誰かが茶を点てているらしかった。 ギシッ――― その人物が、俺の足音に気づいて振り返った。 「あら、お目覚めですか?」 「―――!? お前さんは…」 そこにいたのは、紛れもなく俺が探し続けていた女だった。 固まったまま立ち尽くす俺を、そいつは不思議そうに見上げていた。 「あの…」 意志の強そうな瞳は微かに潤み、凛とした口元がその表情を際立てていた。 「あ…あぁ、スマン」 どうしていいものか、俺は襖に寄りかかるようにして座り込んだ。 じっとしていると、そいつが口を開いた。 「ここへやってきたら、あなたが寝ていたので驚きました」 と、再び茶を点てながら話し始めた。 「最初は声をかけようかと思ったのですが、とても気持ち良さそうに寝ていたので…」 と言って、ニコッと笑みを向けた。 その笑顔に、なぜか俺の心臓が早まる。 「そ、そいつはすまなかったな…」 ぎこちなく答えると、そいつは手を休めて言った。 「いいえ。この茶室に人が訪れたのが久しぶりだったもので、なんだか嬉しくて」 「久しぶり…?」 「ええ。茶道部は元々私と卒業していった先輩方の3人しかいなかったので…。今は私だけになってしまいました」 と言って、視線を下に向けた。 「そうか…。そいつは辛いの」 「仕方ないです―――はい、どうぞ」 と、俺の前に点てたばかりの茶を差し出した。 「さ、作法なんて知らんぜよ」 「お好きに飲んでくださって結構ですよ」 「そうか。それじゃ…ウッ」 一口飲んだだけで、口の中に独特の苦味が広がる。 「ふふっ。苦かったですか?」 「あ、ああ。これは眠気が一発で吹き飛ぶのぉ」 「それじゃ、眠いときにはお茶を点てて差し上げますよ。仁王さん」 「あ!? 俺の名前…」 「もちろん、存じ上げてますよ」 ふふっ、と意味ありげに笑うヤツに俺の頭の回転はついていかなかった。 「あ〜…えっと…」 意外な展開に、どう答えたらいいのか分からずにいた。 「ふふっ。テニス部所属の仁王雅治さん。一部からはペテン師なんて呼ばれてるみたいですね」 「あ、いや…なぁ、なんでそこまで俺のことを知ってるんじゃ?」 俺はコイツを知らないんじゃが…。 「申し遅れました。私、同じ三年の纏(まとい)静香と言います」 「三年って…同学年か!?」 「ええ。同級生ですよ」 と、キッパリと言い放ち、満足げな笑みを浮かべた。 「あのな、悪いが俺はお前さんが同学年にいたなんて知らんのじゃが…」 記憶の糸を辿ってみても、この纏静香という女は俺の頭の中にはいなかった。 「私は存じ上げてました。なぜなら、一年生の時は丸井くん、二年生の時はジャッカルくん、そして今は幸村くんと柳生くんと同じクラスですから」 と言って笑い、 「この学校は広いと同時に同学年でも校舎が別々になることもありますからね。私のことを知らなくても、それは…仕方ありません―――」 一瞬、視線を下に逸らし、静香は話を続けた。 「それに…、テニス部の皆さんはとても親切にあなたのことを教えてくださいましたよ」 と、俺を射抜くかのように真っ直ぐと視線を向けた。 「そうか。そいつは…なんと言ったらいいのかのぉ」 まさか部の連中が絡んでいたとはな…。 「この学校はやたらと人も多いから―――ん? なんでアイツらに俺のことを聞くんじゃ?」 本当に、素朴な疑問だった。 だが、いつまでたっても返答は返ってはこなかった。 その代わり、今までニコニコと笑みを絶やさずに淡々と話していた静香の顔が、見る見るうちに赤く染まっていった。 「どうしたんじゃ?」 不思議そうに静香の顔を覗き込むと、 「あ、あのっ…すみませんっ」 「へ?」 「失礼しますっ」 と言って、静香は物凄い勢いで茶室を出て行った。 「…なんじゃ?」 しばらく俺は茶室で呆然としていた―――… 自分が気になるヤツのことを知りたいと思うのは当たり前の話。 なぜ気になるのか、わかるようでわからん。 そいつを突き止めたいばかりに、俺は部活仲間に静香のことを聞いて歩いた。 …不本意じゃがの。 「なぁ、纏って知っとるか?」 購買でガムを買っているブン太を見つけ、すかさず聞いてみた。 「ん? 纏? あぁ、1年ん時同じクラスだったぜ」 「ほぅか。そんで、その纏ってどんなヤツじゃ?」 「纏〜? ん〜。ちょっとお嬢様的ぃじゃねーの?」 自分の気に入っているガムが見当たらないのか、ブン太の視線は売店に向かれたままだった。 「なに、纏がどうかしたの?」 「いいや。別に、なんでもなか」 これ以上聞くとやぶ蛇になりかねん。 「ほい。これやるよ」 と言って、ポケットからブン太の好物であるアップルガムを取り出した。 「おっ!マジぃ? サンキュー♪」 その場で小躍りしそうなほど喜ぶブン太を残し、俺はその場を去った。 「お嬢様的ぃ…ねぇ」 あの「的ぃ」はよくわからんぜよ。 そのまま教室へ戻ろうと廊下を歩いていると、 「お〜い、仁王!」 前からやってきたのは、ジャッカルだった。 「ブン太を見なかったか?」 「あぁ、購買におったよ」 「やっぱりそうか! 助かったぜ。ありがとな!」 そのまま行こうとするジャッカルに、 「のぉ、纏ってどんなヤツじゃ?」 と聞いてみた。 「…まったく、アイツは昼休みに部室に来いって真田から言われてるのに。ホント、赤也といいブン太といい…なんで俺が…」 ブツブツ呟くジャッカルを見て、一言。 「こりゃダメじゃ」 「ふぁ〜あ…。どうにもこうにも眠気には勝てんのぉ…」 聞いて回るのもアホらしくなり、欠伸が止まらない俺は進路変更して中庭へ向かった。 「やはりここにいたんですか。探しましたよ」 最も礼儀正しい口調が頭の上から聞こえてきた。 「桜の花びらが散った後は、虫たちが顔を出しますからねぇ。そこに寝そべっていてはどうかと思うのですが。よほどこの場所がお好きみたいですね」 薄っすらと目を開けると、メガネの奥に不適な笑みを作る柳生がいた。 「…何の用じゃ?」 「いえ、特に用事という訳ではないのですが。昨日は部活に出ていらっしゃらなかったので、少し気になりまして…」 少々遠慮深げに言う柳生は、メガネを直しながら言った。 出会ってから1ヶ月、コイツがメガネを直す時は多少の動揺があることを俺は見抜いていた。 「それだけじゃなかろ?」 上体を起こしながら言うと、 「い、いえ。特には…」 と言って、柳生は視線を逸らした。 ほんに、わかりやすいやっちゃのぉ…。 「ったく。いつまでそこでモジモジしとるつもりじゃ?」 「モジモジだなんて―――」 柳生は顔を赤らめながら言葉を詰まらせ、 「私はただ、纏さんがあなたと会ったと言ってたので…」 と言って、言葉を切った。 「纏―――?」 まさか静香の名前が出てくるとは思わなかった。 確かに、柳生と同じクラスだとアイツは言っていたが…。 「それがどうかしたんか?」 至って冷静に尋ねた。 柳生と違って俺は動揺を見抜かれたりはしない。 「あなたが部活を休んでまで纏さんと会っていたということは、その…。つまり…」 「何を勘違いしとるのか知らんが、俺がアイツに会ったのは偶然じゃ」 柳生の言葉を遮り、俺は立ち上がった。 「それに、俺はアイツのことは何も知らん」 「あの…すみませんでした。疑ったりして…」 と、俺より少し大きい体を小さくして柳生が申し訳なさそうに言った。 「なるほどのぉ…」 「ち、ち、違いますよ! 私は決して―――」 「…ま、せいぜい頑張るナリ」 ポンッと柳生の肩を叩いて、俺はその場を後にした。 まさかこんな展開になるとは予想もしなかった。 「なんじゃ、もぅ終まいか」 俺はオモチャを取られた子供のように、手持ち無沙汰でそのまま帰路についた。 「なんか面白いことはないかの…」 朝早くに目が覚め、そのまま登校した。 部活の朝練をする者以外はまだおらず、退屈な時間だった。 「もうすぐ県大会やの…」 テニスボールを手に、屋上のベンチに寝転がっていた。 柳生とダブルスを組むことはすでに決定していた。 後は作戦だが、県大会の段階で何かをするまではないだろう。 それよりも、さすがに昨日の柳生には驚いた。 このままアイツとダブルスができるか…。 「二日も練習サボっとるしな」 と、自嘲気味に笑いながらボールを高く上げ、キャッチ―――し損ねた。 「おっと…」 気だるそうに起き上がると、転がっていったボールに目をやる。 ボールは人の足にぶつかり、ポンポンッと軽く跳ねた。 「―――何か用か?」 屈みながらボールを拾う人物に声をかける。 「お早うございます―――仁王さん」 そこに立っていたのは、涼しげな表情で笑う静香だった。 タイミングが出来すぎじゃ…。 静香は、そのまま真っ直ぐと俺の下に歩み寄り、 「はい。これ」 「あぁ…サンキュ」 遠慮気味に差し出す静香の手からボールを受け取ると、 「…それじゃの」 と言って、立ち上がる。 「あ、あの…」 「なんじゃ?」 後ろを振り返らずに尋ねると、 「この前は失礼しました―――後々考えてみたら、とっても失礼なことをしたと思って…。 それで後から戻ってみたんですけど、仁王さん、もういなくて…」 段々と静香の声が小さくなっていく。 「…別に気にしとらん」 「そう…ですか? 柳生くんに聞いてもらったら、とても驚いてたので…」 「―――柳生?」 アイツの名前が出て初めて静香の方を振り返った。 「はい。柳生くんにはずっと仁王さんのことで相談に乗ってもらってたので…」 「意味がわからん。この間も聞いたがな、何で俺のことをアイツに相談するんか?」 多少、責めるような言い方になってしまった。 「えっ…それは…」 動揺を隠せずに、言いづらそうにする静香を前に、 「悪いがもう行くけん―――じゃあな」 「あっ…」 自分でもどうして静香に冷たく当たるのかわからなかった。 だけど、この時の俺は真っ直ぐ静香の顔を見ることができなかった―――… 放課後、自己嫌悪に陥りながら俺が向かった先は、病院だった。 ここには、幸村が検査入院していた。 病室に入るなり、幸村はなんだか愉快そうだった。 「へぇ…。そいつは面白い話だね」 「どこがじゃ」 俺はベッド脇に椅子を引っ張り出し、ドカッと座った。 薄手のパジャマに袖を通す幸村は、以前と比べると多少体が小さくなったように思える。 まぁ、元々華奢に見えるヤツじゃが。 「君は彼女のことが好きなんだね」 サラッと言う幸村の言葉に、俺の心臓が跳ね上がる。 「お、俺はそこまではゆーとらんが」 明らかに動揺だった。 他の人間の前では決して見せない俺の姿。 だが、部長であるコイツの前では隠すのも皆無に等しい。 「嬉しいな。君が誰かを想うなんて、俺は想像もしなかったぞ」 「いや、だからそれは…」 「仁王―――素直になれ」 その言葉は、真っ直ぐに俺の心を貫いた。 「後で後悔しては元も子もないぞ―――それは、テニスでも同じだ」 幸村からの、アツイ言葉だった。 素直に…か。 全く、コイツは鋭いところを突きよる。 適わんのぉ。 「ああ、それと…」 行きかけた俺を幸村が止めた。 「なんじゃ?」 ドアに手をかけたまま振り向くと、 「無断で三日間も練習を休んだ分は、キッチリしごくように真田に言っておく―――覚悟するように」 と言って、幸村は天使のような悪魔のような笑顔を向けた。 「非情ナリ…」 コイツにはやっぱり適わん、改めてそう思った。 朝から妙にソワソワしていた。 俺らしくないことをしようとしているせいか、落ち着きがなかった。 反対側の校舎へ行きたい気持ちを抑え、俺は授業が終わるのを待った。 昼休みになり、食事をそこそこに俺は廊下へと出た。 行き先は、あの茶道室だった。 「おらんのか…」 茶道室のドアにはきちんと鍵がかけられていて、中に人がいる様子はなかった。 「仕方ないの」 諦めた俺は、いつものように中庭へと足を運んだ。 あの桜の木の下で過ごす時間が、ほとんど毎日の日課になっている。 「虫ねぇ…」 この間の柳生の言葉を思い出していた。 虫なんて気にしてたら昼寝なんてできんしな。 至って安楽的な考えは、今も昔も変わらなかった。 「そう言えば…柳生って何組じゃったっけ?」 今更ながらにそんなことを思い、同時に静香のことを知らなかった自分を可笑しく思った。 「他人を気にしなさすぎるのも、どんなもんかの」 と、呟きながら校舎の角を曲がった時だった。 突然、視界に静香の姿が現れた。 あの桜の木の下に静香は、いた。 近づくのもなぜかはばかれる思いで…。 けれど、その場から動くこともできなかった。 「あ…仁王さん」 突然静香が振り返り、俺の鼓動が早まった。 「お、おぅ…」 静香の下へ近づくものの、微妙な距離が今の俺の気持ちを表しているようだった。 「あの、昨日は…」 「すまなかったの」 「えっ…?」 静香は驚きの表情を隠せないでいた。 「昨日は、その…。虫の居所が悪くて、な。お前さんに当たってしもうた―――本当にすまんかった」 こんなに素直に詫びることができるのか、と自分自身でも不思議だった。 ただ、コイツにだけには嫌われとうなかった…。 なぜかは、知らん…。 いや、幸村の言うように俺は…。 「仁王さんじゃないですけど、気にしてませんよ」 「そ、そうか…そいつはありがたいの」 「それより、どうしたんですか?なんだか仁王さん、変ですよ」 と言って、静香はフフッと笑った。 その笑顔が俺の心を解き、より素直にした。 「いや、どうもせんが―――なぁ、そこに座ってもいいか?」 と、桜の木を指差した。 「ええ、どうぞ」 静香に促されるまま、俺はいつものように桜の木に寄りかかった。 「ここにいるとな、なんでかは知らんが落ち着くんじゃ…」 「フフッ―――仁王さんがいつもここにいたこと、知ってます」 と、静香はあの時と同じように意味ありげに笑った。 「お前さんは、俺のこと何でも知ってるんじゃの―――俺は何も知らんかったのに」 と、俺も釣られて笑った。 「私…、ずっと見てましたから」 と言って、静香は校舎の方を見た。 その上段には俺のクラスがあった。 「そう…か」 わかるようで、わからん。 いや、今はまだわかりたくないのか…。 本当はもう―――… それからしばらく、昼休みを終える鐘の音が鳴るまで俺と静香は話していた。 汚れるからと座るのを止めたが、構わないと言って静香は横に座った。 どうして体育の授業を見学しているのかと聞くと、 「足を捻挫してたんです。本当はもう治ってるんですけど―――私、運動オンチだから体育はあまり得意ではなくて」 と言って笑う静香に、コイツもペテンの才能がありそうじゃ…と俺ながらに納得していた。 「ところで…よく私が見学していたことを知っていましたね?」 「えっ?あ、いや…」 「フフフッ。嬉しいです―――私のことは何も知らないって言ってたのに」 「あ〜…」 こいつは一本取られた、な。 「もう一つ、聞いてもいいか?」 「はい」 「どうして茶道部に入ったんじゃ?」 「それは家が…私の親がお茶の家元をしているんです」 「ああ、なるほどな」 それがブン太の言う「お嬢様的ぃ」なわけじゃな。 「それに、お茶は心身を落ち着けてくれます」 と、静香は胸に手をやった。 「私の好きな言葉があって、『雪月花』と言うんですけど…」 「雪月花…」 「はい。その言葉通りに雪・月・花を見ながらたしなむお茶がとても好きなんです」 と、話す静香の顔は生き生きとしていた。 「願わくばその全てを同時に見ながらお茶をたしなみたいですけど―――贅沢者…ですね」 「いいんじゃないか?いつか、見れるとええな」 俺も笑みを向けると、 「はい!」 と、静香も笑った。 教室に戻ろうとしたとき、静香が振り返って言った。 「仁王さん。今日はありがとうございました―――こうして仁王さんと話せて嬉しかったです」 「いや、こっちこそな」 「私…」 と、静香は口ごもる。 「どうした?」 心配になって問いたずねると、 「私にとっての『一期一会』は、仁王さんですから!」 と言い放ち、静香は駆けて行った―――… 放課後の部活で、幸村の言うようにイヤというほど真田から褒美を受けた。 部活に出るなり赤也、柳、ジャッカルと立て続けに試合をさせられているのだ。 「ジャッカル!それではいつまでも攻めることなどできんぞ!たるんどるっ!―――次、丸井!」 「マジぃ?やっと仁王と打てるぜ〜」 人の気も知らないブン太は、ご機嫌で相手コートに入ってきた。 「疲れてる仁王なんて俺様の天才的妙技で倒しちゃうぜぃ♪」 「…真田の…ヤツ…」 この容赦のない仕打ちに、真田に対する怒りが込み上げてくる。 そもそも練習を三日もサボった自分が悪いのだが、そんなことはどうでもよくなっていた。 「いくぜぃ、仁王♪」 「フケ顔…のくせに…」 真田の顔を見るだけで腹立たしく、その怒りはテニスへと表れた。 「仁王先輩スゲぇ〜」 「ホントだぜ、もう4人目なのにな」 「ジャッカル先輩が簡単に負けすぎなんスよ」 「黙れ、赤也!」 それこそ人の気も知らないで、赤也とジャッカルが言い合っていた。 「マジぃ!?仁王、疲れてんじゃね〜のかよぉ〜!?」 「仁王のボレーが決まる確率…100%―――そして弦一郎への怒りも100%」 「…真田…のヤロッ―――!」 強烈なボレーがコートに突き刺さる。 「フッ―――どうやら当たったようだ」 どいつもコイツも勝手なことばかり言いおって…。 「そこまでだッ!丸井もたるんどるぞッ!」 「チェッ。勝てると思ったのにぃ」 ブン太の頬とガムが同時に膨れた。 「次、柳生!そして、他の者は各自練習を始めろ!」 真田の掛け声と同時に、それぞれがコートへと移動する。 「なんだよなぁ〜。仁王先輩と柳生先輩の試合見たかったのになぁ〜」 「何か言ったか、赤也」 ギロッと真田が睨むと、 「な、何でもないッス〜」 と、赤也は慌てて駆けていった。 初夏を誘うような熱気が辺りを包んでいた―――… 「あなたと試合をするのは初めてですね」 メガネをかけ直しながら、柳生が現れた。 「…グッドタイミング…じゃの」 軽く屈伸運動をして、俺は下から柳生を睨みつけた。 「それはどういう意味ですか」 柳生がわからない、という顔をする。 「お前さん…に…言わなきゃならんことが…あるんじゃ」 「なんですか?」 「…この間言った…頑張れ…はナシじゃ」 上体を起こし、柳生に向き合うと、 「俺も…頑張るんでな」 と、言い放った。 「一期一会…じゃ」 俺は静香の言葉を思い出していた。 一期一会とは茶道の心得であり、一期に一度の会…じゃったか。 一期一会の縁、とも言うらしいな。 「何をしているッ!さっさと始めんかッ!」 真田の激が飛ぶ。 「まったく…怒鳴ってるだけのヤツは…気楽でええのぉ。こっちの気も知らんと…」 「仁王君」 ふいに柳生が口を開いた。 「あなたのお気持ちはわかりました―――この試合、本気でいいということですね?」 「ああ…」 「お見受けしたところ、あなたの体力はほとんど残されていないようですが…」 「それでも…やらんといかんからの…」 「わかりました」 柳生のメガネが妖しく光った―――… ポーン、ポーン―――… ボールが二度三度跳ね上がり、フェンスにぶつかるとそのまま勢いをなくして止まった。 「…マジぃ」 「すっげぇ…」 コート内は静まり返っていた。 「よし、そこまでだ!」 真田の声と同時に、俺はその場に座り込んだ。 「仁王君…」 柳生が俺の下へやってきた。 「…なんぜよ」 手を地につけたまま柳生を見上げると、 「やられましたよ―――あなたには」 フッと笑いながら、柳生が手を差し出した。 「…なんのことじゃ?」 「初めから体力は残っていましたね?」 「―――プリッ」 「レギュラー相手に立て続けに試合をし、いかにも疲れている様子…騙されましたよ」 差し出された右手を掴んで立ち上がると、 「だって俺、ペテン師じゃし」 と言って、ニヤリと笑った。 「全員集合!」 真田の声に振り向くと、そこに幸村の姿があった。 「精市、退院したのか?」 柳が尋ねると、 「ああ、一時的にだけどね。それより―――みんな、仁王が疲れてると思って手を抜きすぎだよ」 「ウッ…」 「それは…」 幸村の言葉に皆、口ごもる。 「そんなんじゃダメだ―――真田」 「うむ。全員、たるんどるッ!今から練習試合を始める!」 「ええ〜ッ!?仁王先輩と試合をしてその後練習してるのに〜…」 「なんだ、赤也」 「ウグッ…な、なんでも」 「よし、全員コートに入れ!」 真田の掛け声と同時に、再び皆コートに入っていった。 「お疲れ」 と、幸村が声をかけてきた。 「久しぶりに真剣になれて、楽しかったんじゃない?」 なんでそんなに嬉しそうなんじゃ? 「…その前に体力がないぜよ」 「フフッ―――柳生とは最後まで試合するように言っておいたんだけど、決着ついたみたいだね」 ニコニコと笑う幸村に、 「鬼じゃのぉ…」 と、呟いておいた。 県大会も終わり、関東大会まで1ヶ月をきっていた。 俺たち立海大は順調に勝ちあがっていた。 「もうすっかり真夏日になりましたね」 畳の上に寝転びながら、俺は静香の背中を眺めていた。 放課後、練習が終わった後に茶道室へ―――これが俺の日課になっていた。 「いつまでも沈まない太陽が、こうして貴方といる時間を与えてくれてるんですね」 「そうじゃの…まぁ、太陽が沈んでも構わないけどな」 長く伸びた静香の髪を指に絡ませ、俺は呟いた。 「またそんな事を言って…」 と、静香が笑いながら振り返った。 「あいにく、うちの父は頭が固いですから。こうして部活として学校に残る分にはうるさくないですけどね」 「俺の記憶によれば、部活の時間はとうに終わってるはずじゃがな」 「…意地悪な言い方」 静香の頬が少し膨らんだ。 「けどそこも好き、じゃろ?」 「それは―――」 俺は体を起こし、後ろから静香を抱きしめた。 「俺は、お前が好きじゃ―――俺にとっての『一期一会』はお前じゃ」 「仁王さん…」 静香の手が俺の手に重なった。 髪から漂ういい香りと、静香の温もりが心地よかった。 「…じゃが、お前の親父さんは苦手ぜよ」 「フフッ。父に伝えておきます」 「そ、それだけは勘弁してくれ」 「フフッ。どうでしょうね」 と、言い合いながら二人で笑っていた。 夏を知らせる蝉の声が、あちこちに鳴り響いていた―――… |
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